葛原が丘公園と長柄桜山古墳群
7月30日 晴れ
葛原が丘公園に行ってきた。鎌倉に来てから何度行っただろう。
鎌倉山を通って梶原におりて梶原団地の中を歩いていく。
途中野村総研の跡地横を通る。今は市の管理地になっていて雑草が元気だ。
バブルの頃は入口の門と取り付きの道路しかみえず、向いの山から隠れ見える建物の壮大さに驚嘆したものだった。不必要なものを創っても平気な時代だったんだね。
葛原が丘神社は社殿を建て直すようで更地に張られたテントのなかに小さな神棚がぽつんと置かれていた。
それにしてもいつ来ても、昔 父・兄たちと即興で歌を詠みあったことを思い出す。
銭洗い弁天・佐助稲荷をすぎて鎌倉駅西口に着く。お寺でも観て帰ろうかと思ったが、逗子の前方後円墳のことを思い出して足を延ばした。
徳富蘇峰・蘆花の資料館(「不如帰」はここで書かれた。ついでに逗子市の市花はほととぎすだそうだ)を見学してそのまま登っていくとありました。長さ90メートル程の前方後円墳が500メートルの間隔で2基。
まだ未整備なので樹木が繁り、いわれないと分からないだろう。
地元のマニアが数年前に見つけたそうで今では国の指定遺跡に認定されている。
先日聞いた話では畿内のものと形が同じで4世紀の頃のものだそうで、ヤマトタケルノミコトの東征時、走水から房総へ渡る際にこの土地を通っている(?)といわれるくらい古い土地であり街道なのでしょう。
下りは「六代御前の墓」をとおる道にした。
六代御前とは平惟盛の長男で、平氏滅亡の際文覚上人が頼朝へ嘆願して助けられたが後日、上人が謀反で捕らえられた時に再度捕えられこの地で斬首されたとの碑がありました。
古い町には埋もれそうな史跡がたくさんあります。


葛原が丘公園に行ってきた。鎌倉に来てから何度行っただろう。
鎌倉山を通って梶原におりて梶原団地の中を歩いていく。
途中野村総研の跡地横を通る。今は市の管理地になっていて雑草が元気だ。
バブルの頃は入口の門と取り付きの道路しかみえず、向いの山から隠れ見える建物の壮大さに驚嘆したものだった。不必要なものを創っても平気な時代だったんだね。
葛原が丘神社は社殿を建て直すようで更地に張られたテントのなかに小さな神棚がぽつんと置かれていた。
それにしてもいつ来ても、昔 父・兄たちと即興で歌を詠みあったことを思い出す。
銭洗い弁天・佐助稲荷をすぎて鎌倉駅西口に着く。お寺でも観て帰ろうかと思ったが、逗子の前方後円墳のことを思い出して足を延ばした。
徳富蘇峰・蘆花の資料館(「不如帰」はここで書かれた。ついでに逗子市の市花はほととぎすだそうだ)を見学してそのまま登っていくとありました。長さ90メートル程の前方後円墳が500メートルの間隔で2基。
まだ未整備なので樹木が繁り、いわれないと分からないだろう。
地元のマニアが数年前に見つけたそうで今では国の指定遺跡に認定されている。
先日聞いた話では畿内のものと形が同じで4世紀の頃のものだそうで、ヤマトタケルノミコトの東征時、走水から房総へ渡る際にこの土地を通っている(?)といわれるくらい古い土地であり街道なのでしょう。
下りは「六代御前の墓」をとおる道にした。
六代御前とは平惟盛の長男で、平氏滅亡の際文覚上人が頼朝へ嘆願して助けられたが後日、上人が謀反で捕らえられた時に再度捕えられこの地で斬首されたとの碑がありました。
古い町には埋もれそうな史跡がたくさんあります。










