3月29日 晴れ田んぼの会では田植えに向けていま新しい田んぼを整備している。
十数年前まではお百姓さんが耕作していたところなので一からの田んぼ作りではないが手を入れてなかったために葦だか蘆やらが根を深く張っている。
これを取らないといけないのでかなりの力仕事になる。
毎週約15人から20人の子供から年寄りが参加しているが、
力を出せる男は3分の1として5・6人だからクワとシャベルで格闘だ。
他にも水路や畦の整備や貯め池の底さらえもあり、やらなきゃいけないことはたくさんある。
それでも徐々にではあるが形になってきた。
無農薬農耕なので今年もカエルの卵がそこここに見られオタマジャクシに変わり始めている。
ドジョウもエビガニも出てきたし、夏になればトンボもチョウチョも飛び交い本来の田んぼにもどろうとしている。
となりでは「畑の会」が畑の復元を目指し「森の会」は山桜の保全や木々の下草刈りの作業を続けている。
何年かすればここ広町の森も国木田独歩が100年前に逍遥した『武蔵野』を思わせる里山になるだろう。
ということでこの日は作業を早めに切り上げ、山に登って大木の山桜を愛でて下の原っぱでお花見懇親会だ。
300円の会費でしかもみんなの持ち寄りもあり豪勢な宴になった。
昨日別の会で飲んだばかりだったがよい天気でアルコールがすすむ。
新入会員(といってもあまり戦力になりそうもない方)の紹介もあったりで楽しい時間だった。
山の主?山桜の大木
江ノ電腰越駅に藤沢行きが到着
腰越駅ホームから
JR藤沢駅線路際のボケ
3月26日 晴れ 上野の東京国立博物館に「国宝 薬師寺展」を観に行ってきた。
親戚に孫が生まれたので初お目見えに品川まで行った際に僕だけ上野に足をのばしたという訳。
平城遷都1300年記念事業としての開催で展示物の目玉は金堂の日光・月光菩薩立像(国宝)で
寺外で公開されるのは初めてだそうです。
さらに今回の展示では光背をとり本体だけを展示するので後ろに回れば普段は見れない背中の部分が見れるということもアピールされていました。
どこのお寺に行ってもそこの本尊等の美術品を、安置されているお堂で見学するのは少しの時間許しを貰って見せていただくという気持ちになってしまい何を見たのかわからないケースが多い。
そういう点では今回の展示は日光・月光両像を部屋の中央に置き、正面には上部も見れるように
スロープが設えてあるのでどの方向からも見ることができるようにしているので結構なことだ。
両像とも3メータを越す銅の鋳造でどっしりとしていて、かつ 切れのある姿で往時の匠の美術センスと技術力には感心するばかりだ。
他にも聖観音像や吉祥天の絵画等の国宝が展示されていて1500円(割引券で1400円)の入場料は安い。
上野の森もこの日の暖かさで桜は3分咲きというところか 今週末は混雑するだろう。
日光菩薩
月光菩薩
3月11日 晴れ この間の京都旅行の日記の二日目に「妙蓮寺椿を見て妙顕寺・宝鏡寺を軽く流して相国寺に向かった」と書きましたが
先日から読んでいた「明智左馬助の恋」(加藤廣著)に妙顕寺が出てきたのでおやっと思って地図を見直してみた。
左馬助の主の光秀が信長を討つ以前のこと、信長が朝廷へ自分の威信を見せつけようと御所の広場で馬揃え(閲兵式のようなもの)をやると言い出し、その奉行(幹事)を光秀に命じる。
朝廷と信長の間に立って大過なく終わらせた後の記述に「二条西洞院の妙顕寺に宿をとった」とありました。
この間行った妙顕寺は「堀川寺の内」バス停のそばだったので、大分北にずれています。別の「妙顕寺」?。
調べてみると元は二条西洞院にあったが、豊臣秀吉が天正11年(1563年)大坂城造営の際に京都の拠点としてこの地を選び妙顕寺他を「寺の内」へ移して「妙顕寺城」を造ったとのことです。
へぇーそんなことがあったんだー、とまあそれだけのことだけど最初に戻って、この「明智左馬助の恋」で加藤廣の「信長の棺」「秀吉の枷」と続いた信長の遺骸を巡る三部作を読み終わりました。
テレビでも放送されて左馬助を市川染五郎(イケメンだね)が演じていた。その前の「信長の棺」も面白く見た。
加藤廣氏はなかなか筆力がある作家だ、次は何を書くのだろうか興味深いところです。
3月3日 晴れ三日目 今日は洛北の行ってないところを選んでみた。
206番系統のバスで千本通を終点北大路ターミナルまで行って北1番系統に乗換え鷹峯源光庵前で下車。
山側に少し登れば「鷹峰山寶樹林源光庵」創建時は臨済宗のお寺だったが元禄時代に曹洞宗に代わったそうだ。
本堂には丸い窓と角の窓がありそれぞれ「悟りの窓」「迷いの窓」と呼ばれていて禅の心を表わしているんだそうだ。
僕なんぞは一生角の窓のほうだな。
裏の庭園は枯山水で北山を借景としている。紅葉の時はさぞかし綺麗だろう。
本堂の天井板は「血天井」と呼ばれている。徳川家康の忠臣鳥居元忠 慶長5年関ヶ原合戦を前に家康が会津征伐で東下する際に
家康に頼まれ石田三成の挙兵に備えて伏見城に籠城し、奮戦むなしく討死に。
若い頃 山岡荘八のベストセラー「徳川家康」を読んだが、ここの部分が何とも凄まじくとりわけ印象に残っていたのだが、
残る一党380余人が自刃した時の血にまみれた床板を、伏見城解体の際数か所の寺の天井板として使われたのだと。
余談だけど、元忠の首をとったのは雑賀孫一またの名を鈴木孫一、鈴木姓を名乗った大先輩です。
門を出てまた少し登ると左手にあるのが「光悦寺」 本阿弥光悦が家康からこの辺りの土地を与えられ、多くの工芸職人たちと住み、工芸集落として数々の作品を製作することになる。工業団地の先駆けだな。
境内には幾つもの茶室があり、中でも大虚庵茶席では光悦垣と呼ばれている垣根を見ることができる。
バス停にもどりそのまま下って行くと左手に「常照寺」というお寺がある。
ここで見るのは「吉野門」 寛永年代京の名妓「吉野太夫」が光悦に紹介されてこの寺の上人に帰依し朱塗の山門を寄進、これが今に残る。
吉野太夫は堺の豪商「灰屋紹益」に身請けされて一緒になったが若くして亡くなる。紹益は悲しみのあまり骨灰を飲み干したと・・・。
バスに乗ろうと思ったけどしばらく待たなきゃ来ないし、下り坂なので上賀茂神社まで歩いちゃえ。
案内板を読むと、祭神は賀茂別雷大神 名前からも推察出来るように雷(いかづち)の御神威により、厄を祓う厄除の神様で落雷除・電気産業の守護神だとされてます。
お昼になったのでそばを食べ、次は神光院と正伝寺だ。所が案内地図がよくわからなくやむを得ずタクシーに乗った。
あっという間に到着、660円でした。運転手さん京都駅まで帰る客かと思ったか、ちょっとがっかりした様子。悪かったね。
神光院は見るべきものはなし。正伝寺までの軽い登りを約10分 ここにも伏見城の血天井があり、手形・足形らしいものまで残っていて凄惨さを感じる。
ここの庭が今回の旅で一番良かった。サツキの刈込を七・五・三と配した枯山水で、「獅子の子渡り」と名前が付いている。小堀遠州の作で晴れていれば比叡山が借景で加わる。
これで洛北は終わり、バスで七条大宮まで戻って渉成園をのぞく。ここは東本願寺の別邸で生垣にからたち(枳殻)を植えたので枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。池泉回遊式庭園で詩仙堂と同じ石川丈山の作だそう。数寄屋風の建物や茶室が10軒くらいある。
偶然のことに棋聖戦が行われていて山下敬吾棋聖に趙治勲十段が挑戦しているそうだ。大盤解説を別室(テレビ中継あり)でやってるようで緊張感が係りの人から感じられる。
新幹線の時間までまだ余裕があるので梅小路にできた公園を見に行く。そのまえに入り口横にある梅小路蒸気機関車館に入ってみた。
扇形車庫(重要文化財だそうだ)には何両ものSLが保存されマニアには垂涎ものだろうね。
さて公園のほうは平成7年に出来た新しい公園で、ここの「朱雀の庭」は池泉回遊式庭園で築山も滝もあるけど、全体的に新しい試みを取り入れた庭でVERYGOOD!!。
だんだん薄暗くなってきた。そろそろ京都駅にいかなきゃ・・・、大分歩いて回ったけど京都は広いね。そこらじゅうにお寺やら神社があるから歩いてみるとこんなところにこんなお寺があったんだ、と意外な発見があるのでとても面白い。
以上京都お寺と庭の見学手記でした。
源光庵
悟りの窓と迷いの窓
源光庵の庭
本堂の血天井
光悦寺
光悦垣
常照寺の吉野門
上賀茂神社
正伝寺の「獅子の子渡しの庭」
渉成園の傍花閣
梅小路蒸気機関車館の転車台と扇形車庫
梅小路公園の「朱雀の庭」
3月2日 曇り二日目 昨日見逃した相国寺「瑞春院」へ行こうと地図を見ていると妙蓮寺という字が目に入る。
そういえばと椿の種類に「妙蓮寺椿」というのがあったことを思い出す。
当りかどうかちょっと寄って行こうと目的地バス停は「堀川寺の内」にする。
バスの中で調べてみるとやはりそうで、何十とある椿の銘木のひとつだった。
おまけに「十六羅漢石庭」という庭があるっていうんでこれは都合がよいと山門をくぐった。
案内板を見て「妙蓮寺椿」の場所に行ってみると一本だけポツンと植わっていた。
少し寂しい気がしたが畑じゃないんだからしょうがないね。
それじゃあ庭を見せてもらおうと受付らしいところへ行ってみたが誰も出てこない。
呼び鈴のようなものもない。黙って入るわけにもいかず暫く待ったが変わらないので諦めて出てきた。
隣の妙顕寺 宝鏡寺と軽く流して烏丸今出川の交差点を渡ればすぐに相国寺の塔頭「瑞春院」に到着。
水上勉が少年期にこの寺の小僧さんだった思い出をもとにした直木賞受賞作「雁の寺」のモデル。
庭は寂を感じる禅林風の作で「雲頂庭」という名前がついている。
同志社のレンガ校舎の間を抜けて今出川御門をくぐり御所の横の砂利道を丸太町まで歩く。
丁度昼になったのでラーメン屋に入るとサラリーマンでいっぱいだ。少し懐かしい気がする。
腹ごなしを兼ねてしばらく歩くと堀川通に出る。二条城が目の前だ 二度目だけど寄って行こう。
二の丸御殿の大広間は徳川慶喜が諸大名を集めて大政奉還を発表した部屋で頭を下げ平伏している大名達と上段の間に座る慶喜を模した人形がその様子を再現している。
二の丸庭園は国の特別名勝で江戸初期に小堀遠州が改修作庭したといわれているがその後も度々改修され、現在の姿になっている池泉回遊式の書院造り庭園だ。他にも本丸庭園や清流園があり入場料600円なら納得できる。
かなり歩いて足もかったるくなってきた、そろそろ暗くなってくる頃になったので宿に戻りましょう。
妙蓮寺
妙蓮寺椿
相国寺瑞春院
瑞春院方丈の庭「雲頂庭」
二条城二の丸御殿
二の丸庭園池泉東岸から 右手は黒書院
北岸から見る蓬莱島
天守閣跡から見る本丸御殿 比叡山が望める
3月1日晴れ
今年も京都のお寺と庭を見学してきた。
2泊3日で回ったので3回に分けて書き込むことにする。
初日は昼頃の到着で昼食後にバス停「大将軍」で降りて「立本寺」(りゅうほんじとよむ)へ向う。
京都のバスはどこでも220円なので場所によってはとても安いし便利だ。
日蓮上人の孫弟子の日像の創建というお寺で本堂はじめ諸堂が残り、その配置も日蓮宗伽藍の典型と案内にある。庭園は市の指定名勝で築山を組合わせて遠近感をだしているというので期待をしていたが銭を出してみるほどのものか。
次に千本通・堀川通・烏丸通と東に歩いて同志社大学の北隣にある「相国寺」へ行く。
今年は法堂・開山堂と塔頭の「瑞春院」が特別公開になっていてまずは法堂・開山堂を見に行った。
足利三代将軍義満の創建後、戦火や火事で何度も焼失 現在の法堂は豊臣秀頼の寄進で我が国最古の法堂だそうだ。天井に狩野光信筆の大きな龍が描かれていて鳴き龍になっている。
本尊の釈迦如来と脇持は運慶の作だが、九州国立美術館に借り出されていて見れず残念。
夢窓国師を開山とする開山堂の庭は「龍淵水の庭」と呼ばれる枯山水の名庭だというが、上手に剪定された赤松には感心したが、酩酊するほどでもなかった。
退出したらもう4時を過ぎていて「瑞春院」は閉まっていたので今日はこれまでまた明日・・・。
相国寺 法堂
相国寺 開山堂の「龍淵水の庭」